2005年12月09日

ええ正直私はクリスチャンにルサンチマン(笑)持ってますよ

いやその、一応マーク(←英語読み)専攻した理由って、一見他の二つよりプレーンだったっていうのも大きいんですが、どれにするか決めるに当たって一応他の二つも読み比べたし、指導教授にツッコミ入れられそうだと思ったんで、遠藤周作(きらい)のイエス本も読んだですよ。そしたら奴はルーク&使徒行伝セットが好きだったらしく、そこに出てくるイエス像に更に歪み入れてるんですわ。

多分大多数の日本人が持ってるイエスの一般的なイメージって、ルークだの周作のやつー三浦綾子あたりだののウェットで柔和なイエス・キリストなんだと思うけど。

私は中高時代に出来心で、数回近所の教会(バプテスト派)に通ってたんですが、「よく説教で引用されるルークとかいうページのイエスは胡散臭い」と思ってて、「故に説教とか笑顔で勧誘してくる儲の人たち胡散臭い」とか思って、「そのうち牧師か儲の人と論争して、天地茂の明智小五郎が変装マスクを剥ぐが如く、あの胡散臭い笑顔が剥げ上がるところを見たいもんだ」とかいうのを野望にしていたわけですが。
結局青少年クラスみたいなのに参加させられ、順番に聖書のどこかを音読しては皆さんウトーリ、という恐怖体験をしてからは、ガクブルしてそこから足が遠のいたので、結局野望は達成できませんでした。.
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ちなみにうちの母が乙女座を絵に描いたような人で、私に薦めてくる本といえば『風と共に去りぬ』だったり三浦綾子だったりと非常に乙女の固まりで、私的には趣味が合わなすぎてかなり迷惑だったのですが(厨房当時指輪とナルニアとG.マクドナルドを愛読中でした)、お陰様で三浦綾子がどんなものを書いたのかを知ることができたし、それと遠藤周作を合わせると、日本でウケるイエス像(というかそいつらがイメージを作っちゃったんだろうか)というものがどんなものかはだいたいわかったのですが。
そしてそれとルークとマゾヒズムが湿度たっぷりによく馴染むこともよくわかったのですが。

つうか周作よ、『行伝』読んでよく感動できるよな!
馬鹿弟子どもがイエス亡き後ちゃっかり集合し、新参者やユダヤ以外の信徒の扱いを差別して早速権力抗争を始めるという、醜くもさすがケパ(←「頭硬え奴」って含みでイエスがつけたポールの徒名で「岩」って意味)を始めとする馬鹿どもと言いたくなるような「仁義なき戦いinパレスチナ」を読んで、「最愛の師への裏切りの罪悪感を重く受け止め許しを乞いながらも、それを乗り越えて信仰の道を歩む、人の弱さが強さに変わる一瞬をとらえた人間感動物語」に読めるものだよなあ。
むしろ周作はそっちに力点を置いた感じで、前振り的にイエス本を書いてるので、奴のイエスもやっぱりメソです。いちいち「ああ神よ彼等弱き者たちを…どうか…よよよ…(呉先生のように)」てなイエスです。何故これで泣ける人がいるのかわからない…。

要は、「購いの羊たるイエス、人間の罪を一身に背負い、誰に対しても優しく、苦難を神への信仰に変えて従順に十字架にかかるイエス(いちいち泣きが入る)」つうのが好きみたいですね。

その後、ルークが在家信者用マニュアルとして、要は原始キリスト教会運営マニュアルとしてマークとQの使えるところを継ぎはぎしたりニュアンス変えたりして作られたと知って、何となく納得したわけですが。いや、ルークが行伝の前振りらしい雰囲気の理由もそこでわかったわけですが。
んでもって、教会が毎回説教用におもむろに引用するのがルーク&行伝の都合のいい箇所だっていうのも納得できたわけですが。


でもさ、イエスって自分に従う人たちに「それぞれ自分の十字架を背負ってついてこい」って言ってるんだよね。それってすごく厳しい、それぞれに覚悟を迫る言葉で、そんでその「十字架」つうのもメソ的つうかマゾ的な苦境じゃないと思うんだよね。
そこはスプラッタ映画になっちゃったらしい(笑)『パッション』万歳(でも虚仮威し感が気に入らないので観てない)ってやつで、イエスの言葉の裡にはそうした生々しい死を背負った覚悟、って意味合いがあったんだと思うんですよ。
イエスが散々語ってる言葉というのは、時にユーモアたっぷりの皮肉だったり生活知だったり激しい罵りだったりするんだけど、基本的には既成の権威や得に惑わされずに人としてのシンプルな良識に従って生きろ、ってことだと思うんですよ。

彼は律法についても込み入った議論ができる程インテリだったと思われるんだけど、その上で生活の細部に及ぶユダヤ教の律法を全て遵守しろなんて言ってない。守るべき教えは何か、と群集に問われて「要はこういうことだ」とコンパクトに語った内容は、殊更ユダヤ教やキリスト教に限られた、特殊というか固有の価値観とは言えない非常にシンプルなことだと思うんだけど(まあ「あなたの唯一の神を愛し、信じろ」つうのは一神教に馴染まないメンタリティにはあんまり馴染まないような気もするんだけど、自分自身の良心、と置き換えればそんなにわからない話じゃないと思うんだよね)、でも一度もそれを投げ出すことなく実践して生きてくのって難しい。

隣人つうのが文字どおりお隣の人って意味じゃないのはまあ「わかり切ったことをクドクドと…」って感じで深く触れないでおくとして、自分と異なる他人を憎まずに受容することすら非常に困難なことだと思う。先に挙げた良心の問題にしても、時に世間知つうか頓知で切り抜けるにしても、「恥ずべき行動は行わない」ということを貫こうとするだけのことが実際難しいのが現実だと思う。私は馬鹿弟子のケツにはつけないし、実際前述のようなキモい場所が非常に苦手なので、公にも認められるクリスチャンにはなれないけど、私の十字架を背負って生きようと思いつつ日々を過ごしていても、やっぱりどうしても憎まずにはいられない人間や物は存在するし、「あれは人として最低だった」とか、後で頭を抱えてしまう間違いもよく起こす。仕方ないので、それらも含めて自分の十字架なんだろうと思うことにしている。
私の解釈がもし正しければ、そこにはお涙頂戴なセンチメンタリズムなんかマジ存在しない。必要なのは、それを死ぬまで背負い続ける決意だけだ。

なのに、遠藤周作ー三浦綾子的信仰観にとってはそれはマゾヒズム的利他的行為とその快感(としか思えない)になってしまうし、残念ながら日本的にはそれが非常に合うらしいと感じる象徴的なものは、教会でのバプテスマの儀式なんだよね
(だってバプテストを受ける時って、教会員の前で涙ながらに「悔い改め」、その人の心の中でイエスが起こしたらしい「奇跡」を語り、メンバーに加わるための賛同を教会員たちに求めなきゃいけないんだよ。何故いちいちメソメソしなきゃいかんのだ、と、厨房当時から気持ち悪かった)。
んでもって、「自分は信仰の道に生きている」とか確信できた人は、自分の言動を省みることなんてないし、誘惑に負けやすい人(笑)はそこでまた「主よ、どうかry」と涙ながらに祈り、その哀しみに酔う、と。全くおめでたい。


そんなわけで私はイエス好きにも関わらず、クリスチャン(少なくとも日本人の)にはルサンチマンというか、彼等の臆面の無さへの脱力を感じてしまって駄目なのだけど、実際、絶対説教に使われないイエスエピソードの面白さを再読する度、あの人本人はかなり面白い人だったんだろうな、と惚れ直すのでした。

だって弟子どもはどれだけイエスが叱りつけてもアフォな言動ばっかりするし、実際彼は夜になると一人で山に入っちゃうのですが、弟子どもの駄目さ加減に鬱になって気を鎮めてるとしか思えなかったり。
そうかと思えば、夜中に舟上にいる弟子達のところに水上歩きで近寄って脅かしてみたり。
そもそもユダヤ教会が金集めの殿堂になってる現実に腹を立てて神殿に参上した挙げ句、その参道に出店を開いてる人たちに八つ当たりをして店の破壊行為をしたり(いや、儲を金もうけのカモにしてるってことで同罪だと思ってやった、っていう真面目な解釈はわかった上で、そんなその日の収入がダイレクトに生活にかかっていそうな人たちを先にターゲッティングしなくても…とか思うじゃないですか笑)。
んで腹が減ったところに見かけたイチジクの木が、季節じゃなくて実をつけてなかったからといって、呪いをかけて枯らしたりするなよ、とか思うじゃないですか。
そんな人の死後にも残っていた言行録を集めたのが原マルコだったりQ資料だったりするわけで、集めた人たち自身も原始キリスト教徒だったつうことで多少のバイアスはかかるにしても、マークあたりは特に統一性を考えて構成していなかったらしくて、イエス本人の言ってることもけっこう矛盾が多いです。そんなところも、これは「勢いで言っちゃったんだろうなー」とか「これはブチ切れ発言で極論言ってるよ」とか思いながら読むと、イエスは非常にかわいらしいです。


そんな感情の起伏が激しくて、そこもカリスマ性の一つだっただろう人(まあどこまで人間イエス像がそこに残ってるのかなんかわからないんですけどね)を、穏やかで慈愛に満ちた懐の深い「主」に整えてしまったルークはマジで嫌だなあ、とか思うのでした。


あ、もうじき奴の誕生日(ってことになってる)だー。
ついでにその数日後はやさいの誕生日だー。
なんでも「12月生まれの山羊座」繋がりってとこをかなり気に入ってるっぽいよ。
私は同じ12月でも射手座だ(ちょっとくやしい)。
この記事へのコメント
「風と共に去りぬ」に「三浦綾子」…それはうちの母が私にすすめたもの。そういえばあの人も乙女座だった。更に「赤毛のアン」も薦められましたな…私は小松左京あたりのSF読んでましたが。
Posted by うさお at 2005年12月09日 23:07
やはり母が娘に薦める普遍的な恐怖のレパートリーなんでしょうかあの辺。それとも乙女座の母に限るんでしょうか…orz
ちなみに私は古典中堅FT制覇と並行して『闘将!!拉麺男』も読んでました。まだ誰にも明かしてない過去の恥部です(まあ家族は知ってるけど)。
そして人から借りた『アーシアン』がどこがいいのかさっぱりわかんなかった。昔から少女漫画駄目みたいですアは。
Posted by deco at 2005年12月09日 23:29
>闘将!!拉麺男
筋肉じゃなくてですか?もしやその辺が格闘派ファンタジー系乙女なでこさんの根源…。

ちなみに「闘将!!拉麺男」の字面で思わず将来ラーメン屋予定の少年を思い出しました。
Posted by うさお at 2005年12月11日 18:38
そういやベネディクト16世が、物慾祭りはけしからん、とか云ってたな。愛欲については何も云ってないが、まあ、愛欲祭りは日本限定みたいだし・・・
Posted by peter at 2005年12月12日 23:08
>うさおさん
ええっ?!
「格闘派ファンタジー系乙女」て!
…でも確かにバキ以前にはまってた格闘漫画ってその辺になるのかなあ…
ていうかそもそも格闘漫画にはまる方がどうかしているんでしょうか…笑
ちなみに半年くらい前に、以前お見せした(かと思う)「全員ウサギ格闘派メルヘン冒険活劇」を整えて兄マックス大賞に送ってみたのですが、大賞はアニメシナリオ作家養成学校の校長に攫われ、ウサギは賞にかすりもしませんでした笑。世の中って厳しいネ、アンジー。

>peter
物欲祭りってどんな祭りなんだろう…。今の私やpeter(各自蒐集癖全開)のような状態なんだろうか…。
愛欲祭りは、たとえドラマだろうがむかつく。
どうせならイエスにちなんで屋台破壊祭りとかにするとよろしいような気も(でもそれ、族の集会みたい…)。
Posted by deco at 2005年12月13日 00:43
23時を過ぎて販売停止された自販機を破壊する祭り、辻説法師を言論的だけでなく物理的にもタコ殴りにする祭り・・・
Posted by peter at 2005年12月13日 00:54
騒音をまき散らして走ってる選挙カーに投石する祭り、新聞の勧誘に来てマンションのインターホンに暗号を残していく勧誘員をタコry
Posted by deco at 2005年12月13日 19:46
健康と幸せを祈らせてくれと近寄ってきた女子の肩をがっしりと摑み「合体しよう…(ニヤリ)」と低い声でささやきかけ、その場で失禁させる祭り

俺の中では、PCデスクの上を
http://www.takaratoys.co.jp/votoms/actic_index.html
コレで埋め尽くす祭り開催中。(現在10体)
Posted by タクロウさん at 2005年12月14日 08:58
・・・え!?DECO殿って女だったのですかな!?
Posted by えーくん at 2006年03月09日 22:48
あ、間違い発見。
「ケパ(アラム語で「岩」)」言われたのはペテロです。あの辺読んだ時には、しばらく面白がってケパ連呼してた。ポールじゃパウロだつうの。
ちなみに『行伝』とかで使徒連中とパウロの繰り広げる確執は、大変殺伐としていて面白いですよね。「新入りは小さい顔してすっこんでろ」いう姿勢と「てめえらは伝え聞くイエスの教えと正反対に、大変だらしなく権威主義的な利権団体ですね」つうツッコミが激しく交錯していて。

↑こういうのばっか面白がるというかこういう読み方しか出来ないから友達が出来ないわけですが(だがそこがいい)。
Posted by deco at 2006年05月04日 19:30
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