2005年12月25日

クリスマスイヴ→当日

一応日付が変わった頃からケーキ食ってイエスっち映画(『最後の誘惑』)を観て3日後に蘇るのとそのまま生贄の羊としてアボンヌするのとどっちがかっこいいかを論じ合っていました。個人的には最後の言葉が神への抗議だってところがイエスっちらしくて好きなんですが(ていうか『福音書』という散々手を加えられて史実とはおそらく程遠い文書の中で、たしかに人間だったイエスがこの世にいたんだ、って思えて嬉しくなるからなんだけど)、だからこそその言葉はより悲痛な言葉にも、死の直前までファイティング・スピリットを失わなかった証にも受け取れる気がするです。

ま、本日の推定年齢2008歳くらいの誕生パーティにしても、実際の彼の誕生日は一切不明なわけなので、とりあえず便宜的に年一度祝っておくか、という感じでしかないわけなのですが、私はそういえばイエスと同じ立場に立たされたら最後まで臆さずに十字架にかかれるだろうか、とか映画を観ながらよく思っていたものでした。ま、人類の歴史上では、イエスの処刑なんかより余程辛い死をイエスの名のもとに与えられた人たちが沢山いるわけで(ここでいつもイエスの功罪で思考がループする)、イエス当人の苦難を自分が耐えられるかどうかなんぞは無意味な比較でしかないのだけども。

ともかく、人には自分用の十字架がそれぞれ必ずあって(少なくとも私には)、それを引き受けられるかどうか、引き受けてきたかどうかを年に一度くらい振り返ったりしてもいいような気がします。イエス有効活用の方法として笑。

とりあえずそんな感じのクリスマスでしたが、何度観ても『最後の誘惑』は役者力で持ってるけど構成が散漫だなあと思います。そしてユダはツンデレだと思います。あとラストの曲はサントラ版の方が遥かにいい。
この記事へのコメント
あたしゃ十字架を背負い続けてきたので肩が痛いぞ。
え、なんか憑いてるんだって?
そりゃ物慾の神だな、きっと。
Posted by peter at 2005年12月25日 08:23
私もそれ憑き物だと思う…物欲の神は怖いからねえ笑。私もそれで肩凝りまくり。
Posted by deco at 2005年12月25日 18:40
物慾の神サマは、貧乏神も連れてくるので厄介です。
Posted by peter at 2005年12月27日 05:24
物欲の神様はきっと背面に貧乏神の顔を持ってるのです。ほら、こうするとビジュアル的にちょっとヒンズーの神みたいでかっこよくなるよ(そうか?)!

とりあえず今年はもう物欲神にはお山に帰ってもらいましたが、来年頭にあるビックサイトの催しがやばいです。いやマジやばい。
Posted by deco at 2005年12月28日 22:22
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス: [必須入力]

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。