仕事も絵より文章率の方がやたら高いです。よけい絵が下手になっていきそうです。
今事故ったら自称まんがかなのね、とか元からそうか、とかいう自虐ネタはともかく、『ネバランド』と『17年版まんが防衛白書』の在庫をどうすればいいのか、たまに真剣に悩んでます。「引き取ってもいい」ってとことか「置いてやる」って本屋さんとかないかなあ。
それはともかくですね。
気がついたら数日経過してたんですけど、ステキなニュースを発見。ステキでもないか。
「ローマ法王、無念の帰国…中東歴訪は各地で不評に」
ベネディクト悪人面すぎてヲチってたんだけど、「久しぶりのベネディクトの話題が!」と思ったら、なんだか残念なお話になってるようです(「キリスト教」カテっていうより「生温かいネタ」カテとか作った方がよさそう)。
↓以下、記事内容。.
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「【エルサレム=松浦一樹】ローマ法王ベネディクト16世は15日、8日間にわたった中東歴訪を終え、帰国の途に就いた。
カトリック教会の長として、ユダヤ教徒やイスラム教徒との「宗教間の橋」をかける狙いの外遊だったが、ホロコースト(ユダヤ人虐殺)を巡る発言が「不十分」と酷評されるなど、法王にとっては苦渋の旅となった。
歴訪について、イスラエルのメディアの論調は総じて冷ややかだった。15日付エルサレム・ポスト紙は「法王は冷たく、距離を感じさせた。ドイツ人法王に対するユダヤ人の不信を和らげる言葉や行動がもっとあってよかった」と報じた。
最も問題視されたのは、ホロコースト記念館ヤドバシェムを訪れた際に、法王が「恐ろしい悲劇だった」と述べるにとどまったこと。責任や謝罪に踏み込まなかったことへの反発は激しく、法王庁が「誠実な言葉がなぜこれほど批判されるのか、理解に苦しむ」(ロンバルディ報道官)と不満を漏らすほどだった。
パレスチナでは、法王が昨年末からイスラエルの攻撃を受けたガザ地区への訪問を見送ったことに失望が広がった。11日に東エルサレムで開かれた宗教対話会議では、パレスチナのイスラム教指導者が「法王はイスラエルのガザ攻撃を非難すべきだ」と予定外のアジ演説を行い、対話が打ち切られる一幕もあった。法王は15日、テルアビブ近郊の空港で「ホロコースト記念館を訪れ、心が引き締まった」と別れのあいさつをした。だが、歴訪を通じ、他宗教との間に深い溝が残ることを思い知らされ、今後も関係修復の努力を強いられることになりそうだ。
(2009年5月16日03時52分 読売新聞)」
関連記事も元記事の下の方にリンクされてて、更に残念さをそそります。
個人的にはこれは純粋に、前法王のヨハネ・パウロの「(カトリックの明日のための)全方位ごめんなさい作戦」の皺寄せがベネディクトに来てるだけの話だおね、って思ったんですが、そんな皺寄せも前もって想像できなかったんだろうか、とか、誰が見てもナーバスな話題なのにわりと迂闊な発言しちゃうんだなベネディクト、とか思うと、
あ ん な 悪 人 面 でしかもコンクラーベを勝ち残った強者のくせに、とか、
正直 萌 え ま す。
なんか「ベネディクトの方が政治家っぽい」とか「ヨハネ・パウロの方が威厳があった」とかいう意見もちらほら見ますが、私としては「ヨハネ・パウロの政治家&芸人ぶりが数枚上手だっただけだろ」とか思います。
何といっても自分CDとか出しちゃうアイドル演出にもぬかりがないとか、手段を選ばないところはすごかったからなー。
ベネディクトも写真集とか出せばいいのに!
歌ったりPV作ったりすればいいのに!
きっと私以外にも需用あると思うの!
とかたいへん中身のない不真面目なエントリなのですが、
「全方位ごめんなさい作戦」は、キリスト教の歴史を考えると、あれはあれで一番効果的かつ政治的な発言力も持ってくる究極の技だったのかもしれないなー、とか思うのでした。初代のペテロとか歯がみしそうだけどな!
それができないベネディクトは、もうちょっと個人的なカトリック教徒なのか、政治家としてヨハネ・パウロより数段劣るのか、どっちなのかなー、とか思ったりするのでした。
それで、当の揉めてる3宗教のことを考えると、元はといえば奉ってるのは同じ神なのになー、とかいう基本に返ってしまうわけで、そういえばキリスト教は成立当初から経緯的に政治的な側面がでかかったもんなー、とか思ってしまうのですた。んで、日本では「宗教」と「信仰」を切り分けて語られることが余りにも少なすぎるとかたまにいらっとするんですが、そもそも「宗教」はある程度の規模の共同体を背景に初めて成立するものだということを考えれば、それは「共同体の存続」という力学的に、政治的であって当然なんだよな、とか思うのでした。
んで、イエスがあの時、地元バンドやろーぜ呼びかけ(初代弟子集めのこと)をしなかったら、歴史はどう変わっていたんだろうとか、単に「子」の名前が差し変わってるだけの類似の宗教が成立していて、余り現行の歴史と異ならなかったんだろうか(歴史学ってそういう考え方らしいですおね)、とか、やっぱりそこに考えは向かってしまうのでした。
ユダヤとイスラムについて語るには、私は余りに知識がなさすぎるので、そこはもっといろいろ勉強しないといかん感じです。
そもそも古代ローマ帝国の正式な信教になった時点で、というか、その後ヨーロッパ圏にその主軸を移した際、要は砂漠の神がヨーロッパの地に連れて来られた際に、風土と世界観の変遷とともに性格も変わらざるを得なかった(そして無理も大きかった)んじゃ、とか、キリスト教に関してはこの間ふと思ったのでした。
明らかに旧約の神と(特に中世神学以降の)キリスト教の神は性格違うと思うんですが、誰かわかりやすく解説してください。
そんでやっぱり、ベネディクトの写真集ほしい。
(ここんとこ中身のないエントリばっかで
何気なく携帯電話を見ていたらここに辿り着きました。
私も イエスさま好きな人です。(でも ローマ法王さんのことはあまり知らないです)
最後の方の問いかけ文『旧約と新約の神さまって性格が違わない?』というところの 答えになっていないとは思いますが 書いておきます。
旧約聖書には のちに来られる救い主(メシヤ)について色々紹介文が載っています。イザヤ書53章前後では メシヤは 酷い苦しみを受けるが そのことによって世界中の王たちをやがて驚かす方で
詩篇22章では 十字架上で どうやってメシヤが苦しむのか 具体的に書かれてます。
すいません、全然答えになっていないかも知れないですが(^_^;)
でも ちょっとは旧約聖書と新約聖書を交互に読むとき 繋がりを感じて面白いと思いますよ(^-^)
私は通りすがりですが decoさんにイエスさまの愛がいっぱいいっぱいそそがれますように 今、お祈りしています(^_^)
はじめまして
オオタタネコです
三輪山のほうで神官をしています
三葉虫です
新約聖書の神様は、慈愛に満ちた、赦す神様ですよね。
それに対して旧約の神様は、嫉妬心に満ちた(?)厳しい神様ですよね。
神様もそうやって、手を換え品を換え、ときに怒鳴ったり、優しくしたりしながら、人類に接してきたということではないでしょうか。
まったくこの、バカな人類どもは、いったいどうすりゃ正しく導けるんだ。
どう導いてもやるこたー戦争かよ、と。
今もまたきっと神様は新しいキャラクターを模索していると思いますよ。
以上、三葉虫でした。
毎日gdgd過ごしてて、ブログ放置していたら、コメが。
ありがとうございます。
>Setsuさん
つまるところ、「社会システムは勿論だけど、実は何気に自然環境の違いによって必要とされる価値基準が変わってくるのかもしれないなあ」と、浅学ながら楽しく聖書を繰っていたわけでした。
そう考えるとヤハウェの人もいろいろと大変です。がんばれヤハウェ。
ベネディクトは愛くるしいと思います。
ヨハネ・パウロに比べて存在感が薄くて可哀想なので、生暖かく応援してあげてくださいネ★
>オオタタネコさん
神官の方というと神主さんですか?
知人に神主跡継修行をしている人がいましたが、いろいろ大変そうでした。
神が手を替え品を替えるのではなく、人が手を替え品を替え…というか、世に連れ人に連れ神の扮装を変えているのかなーと思ったりします。
ちなみに神像は、特に古ければ古いほど、人のイマジネーションの氾濫といった感じでステキですよね。個人的にはアブラクサスの造型が可愛くて大好きです。ルネサンス期以降あたりの、いわゆるむっちりした幼児の姿の天使像は気持ちわるくて嫌いです。
ベネディクトさんお顔見ました!スゴくパンチの効いた(笑)可愛い顔ですね!(生)暖かく見守っときます◎
P.S.熱射病、大丈夫ですか?(>_<)最近めっちゃ暑いんで、休めるときは充分に体を休めてくださいネ。Setsuでした★
イタリアで、泉の吐水口がその天使の口になってたりするのを見たことがあるんですけど、すごい光景でしたね。
天使が並んでゲロを吐いているような・・・
って何を書きに来たんだろうオレは・・・。
申し訳ない。
巣に帰ります。
ベネディクトご覧になりましたか!
愛らしくてたまりません。わりと本気です。
あと、暖かいお言葉、ありがとうございます。惰弱で困ります。
>オオタタネコさん
実はトラバありがとうございました!
古い時代のキモい天使の造型は好きなんですが(笑)。
ちなみにゲロ型噴水は、悪趣味さがたまりません。せんとくんもこの際やるといいと思います。