2006年05月11日

アンティークジュエリーけもの道

いやかなり不愉快になったことがありまして。

この趣味に嵌まった頃って、対人付き合いがとにかくめんどくて、「説明は虚実入り混じってるかもしれないけど接客態度は押し売りじゃなくて、説明付きで心ゆくまですごい職人技に浸りまくれる」って場が新鮮で心地よかったんですよ。
幸い、すごく勉強しないと何もわからないような下地しかないから、何かを考える間もなく調べものとかをする楽しみもあったりしたし。
やっぱ知の世界って面白いなーとか、美の世界も同じくらい恐ろしくて面白いなー、とかそんなふうに思ってたんですよ。

言ってみれば、客も販売側も、間に立つ金銭よりも作品そのものに眼が向いてる感じ、というか。いや勿論商売なんだけどね。それわかった上での虚構の世界を店主と客で造り上げている感覚というか。.
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や、このブログでも度々登場したかと思いますが、私が最初に店づき(主にその店のオーナーの眼を信頼してそこの顧客になるつうか)の客になったアンティークジュエリー屋さんの話です。
ちなみにその直前には、デパートの催事で生まれて初めてアンティークジュエリーというものを認識して購入し、それはそれで面白い経験ではありました。レースはお気に入りのお店が決まっているので、そちらのブースに行ってもわさわさした気分になることはありませんが、ジュエリーはマジ初めてだったし。

けれど、本当に一生ものの巡り合いをするのは難しい場だな(笑)、と思わせてくれたのが、こちらのお店でのある品物との出会いでした。
それは本当に出会いとしか言いようのない出会いで、まずはサイト上で発見し、それから実際にサロンに赴いたのですが、まるで自分のために待っていてくれたようにしっくりと指に馴染んだことを、今でも嬉しい思い出として昨日のことのように覚えています(実はその前に催事で買ったものは日に日に違和感が強まっていったのでした笑)。
でも「ジュエリーを買うこと」が決して一般的な行為じゃなかった私にとって、それはとても高額なものに思えました。それで一度は見送ったものの、帰宅後もずっと忘れられず、せめてかわりの似たもので、もっと玩具みたいなものを探そうとしても所詮無駄。とにかくそれじゃないと駄目だった。
だから、結局少し纏まった仕事の原稿料をはたいて買ったそれは、実質、生まれて初めての自分のアンティークジュエリーとの出会い、と言っていいと思います。そして、その後も多分一生大事にできる品と出会えた場もこちらだったので、そうした意味では、こちらとの出会いを感謝しています。

でも。

最新の「買い付けの品」がサイトにアップされて以来、一目惚れし続けていたリングがありました。そこで慌てて電話をし、それがもう誰かにリザーブされているのか、実際に見ることができるのか(アンティークジュエリーは特に、画像だけじゃなく肉眼で見ることが大事です。ずいぶん印象が違うことが多いので)等を伺ったところ、「その品はまだ直しから戻っていない、自分が気に入ったのでしばらくは自分で楽しむので、売ることや金額はまだ考えていない」との返答でした。
「だったら、十分堪能して売る気になったら、ぜひ私に売ってくれ」と頼み込み、品物が戻ってきたら教えて頂けるよう頼みました。どちらも快いお返事が返ってきました。

実際に実物を見たのは偶然の所産なのですが、それはともかく。
そのシルバーのパン(ギリシャ神話の神)の顔のリングですが、正直それほど素晴らしい細工ではありませんでした。でも人を小馬鹿にしたようなユーモラスな表情は生き生きしていて、画像以上に魅力的なリングで、私はもう一度一目惚れをし、以前の頼みをまた繰り返したのでした。

すると。
「もう何人か問合せが来ているが、中でも一人熱心なお客さんがいる。でもまだ売る気はないから」とのこと。
「でも買いたいって一番最初に言ったのは私ですよね?」と駄目押しし、とにかくリングへの熱意をアピールしまくっておきました。
それからも、骨董ショーなどでお会いした時には必ずアピールしていたのですが、それは漠然と感じていた不安のせいもありました。不安の内容は後述します。

ともかく、本日は質問があったので電話でそれを伺い、それからリングアピールをまたしたところ。
「実はこれは売ることになりそうで、ひとまずdecoさんに確認を取ってから、と返答しているんですけどね」とのこと。
「…それは以前お話されてた、このリングに熱心なお客さんという方ですか?」…イエス。
「私に確認ということですが、私、ぜひ買いたいんですが」
「いや、でも…」と、このリングがメンズサイズであること、私のサイズに合うようにサイズ変更をするとリング自体の形に無理がかかることなどを色々と説いて聞かせるように言うオーナーさん。
「…要は、確認を取るというよりは、もうそちらの方にお売りすることがほぼ決まっているということなんですね?」
…渋々イエス。


本日は仕事の面接(笑)だったのですが、それが終わったその足で、リングへのお別れをしに店に行きました。

ちなみにそのリングはメンズサイズでしたが、私の右手の親指にはぴったりはまりました(ちょっぴりゆったり目だけど)。それに、たとえ指には大きくても、ペンダントヘッドとして使うなど、いくらでも身につけようはあるものです。
普段はそのようなことも仰っていたオーナーさんだったので、お店で再度粘ってみました。でも親指リングは変だと言われ(そうか?)、「こうした品は確かに珍しいが、また出てくることもあるし、ものには出会いやタイミングというものがあるから」等々、諦める方向に諭されました。
ちなみに金額は、半ば意地になっていた私にとっては頑張れば買える額でした(それも言ったけれど駄目だった)。

それまで魅力的な虚構空間だったこのサロンが、何だか急に、とても退屈な空間に見えました。全ての言葉がとても陳腐な三文芝居に聞こえました。


帰りの道々、色々考えました。
基本的に購入権は先着順。プライオリティは明らかに私にあるし、購買力もきちんとある。なのに、いわゆる「先客へのお伺い」が単なる手続きでしかない程強力に優遇されるお客って、どんな客なんだろう。
少なくとも、現在の私よりは購買力があり、上客かつ常連ではあるんだろうな、と思いました。
だったら、まわりくどく断るのではなく、こうした品を前から探していたお客さんなので、と簡潔に断ればいいと思いました。思えば、「お伺い」自体、本当に立てられたかどうかすら怪しいと思います。
何故かというと、そのリングが直しから戻ったことを、結局オーナーさんは私に教えてくれなかったからです。たまたまサロンに立ち寄ったらそれがあって、気付いたオーナーさんがお客向けの笑顔に戻る前に少しぎょっとした顔をしたのを覚えています。
3日前にリングの販売が決まった、と言っていましたが、私がリングへのアピールをする度に徐々に言葉が濁っていったのを思い出すと、その言葉は真実ではないように思えます。

以前、もう一つの運命の出会い、薔薇のブローチを買った時、他のお客からもオファーが入ったという「お伺い」の電話が来ました。そこで購入を急ぎ決意したのですが、私は散々通い詰めたこともあって、その程度には「常連」になっていた気になっていたのだと思います。

でも、今となって思うのは、オーナーさんにとって私は今回のお客よりは優先度が低かった。同様に、ブローチの時には他のお客さんより少しだけ、私の優先度が高かっただけなのでしょう。



そして、私の優先度をおそらく物凄く下げた顛末が、ほんの数カ月前にありました。先に不安の元と書いたのは、この件です。

洗練度は最高と言われるエドワーディアンのジュエリー(19世紀末〜20世紀初頭)ですが、私は実はそんなに好きではありません。この時代の優れた技術には感動しますが、総体として完成され過ぎていて退屈なのです。第一、私には似合わない。わかった口を叩いて申し訳ない感じですが(しかも値段高いしね)、でもこればかりは趣味の問題なので、仕方ないです。

ともかく、そのエドワーディアンの大粒パールのネックレスがこのお店にありました。デザインそのものは正直退屈だったのですが(マジすいません)、生き物のようなぬめりを放っている大粒バロックパールが、とにかく物凄い迫力を放っていました(ちなみに本当に優れているエドワーディアンの作品の場合、形が整っていることが第一義だったので、バロックパールを使うことはまずありえないそうです笑)。
本当に結構なお値段だったので、私にはまず縁は無いだろうと思いながら見ていたのですが、先日ひとつ大きなお仕事を終え、何となく自分の内面を使い果たしたようなそんなからっぽな感覚を抱えていました。ま、大きなお仕事の後ってだいたいそんなものなのですが。
そんなこともあって、今後戦いを続けて行くためにも、その原稿料や契約が目先に待っている仕事の料金でネックレス購入を決めてしまおう、と思い立ったのです。

しかしこういう品が動く時とは面白いものだそうで、今まで全く動かなかった品が、誰かが興味を持った途端に何件も問い合わせが来るとか。
たまたまオーナーさんが買い付けで留守をしている間に、奥様の方が別のお客さんにネックレスを紹介してしまい、お客さんは買う気満々だとのこと。それを「お伺い」として聞かされた時、私の方は運悪くとある仕事の契約の行方が宙を漂っている状態でした。なので、私は言いました。
「こういうものはタイミングもあると言いますし、もしその別の方が本当に気に入られて、私より楽に購入できるようでしたら、その方のところへ行くご縁だと思いますし(だから譲ってもいい)」
ちょっと格好つけ過ぎな返答だったので(笑)、ちょっとそれを崩そうと、先の仕事についての現況をざっと話したのでした。

思えばそれが間違いだったのだと思います。

正直底辺自由業者の私にとって、というより自由業者の方の多くがそうなんじゃないかと思うのですが、先の道が堅実に長く敷かれていることなんかある筈がありません。次に足を降ろせる足場を常に探りながら、でも先があると信じながらおっかなびっくり進んで行く以外、やってられない職種だと思います。
それは、今まではたとえ口先だけでも同意して頂いていました。
そして、物との出会いや入手できるかどうかもタイミングや縁による、ということは、いわばこの方から学んだことのように思います。ただ今まではその縁を確かにするために少し手助けをしてくれていたけれど、今回は私の方からその言葉を口に出し、あっさり辞退したことだけが違う、と。

それは、私を「購買能力の無い客」というカテゴリ付けするのに十分だったのではないかと思います。
以来、サロンに行っても積極的に何かを色々見せてくれるわけでもなく、熱心に何かを教えてくれるわけでもなくなっていました。だから、今回のリングの顛末もその延長線上にあるに過ぎない、と言えばわかりやすいです。

でも、「タイミングと縁」って、使う場によっては本当に不誠実で惨めに聞こえる言葉なのだということを、今日初めて知りました。


今後、こちらのお店を「大変良心的」だと思うことは無いと思います。まだおつき合いがあるので、全く縁を切ってしまうわけではありませんし、惚れ込む品と出会うこともまたあるかもしれません。
でも、確実にそれを買える時に簡潔な言葉でそれを買う、というような態度の変化はやむを得ないと思っています。


「アンティークジュエリーの良さがわかる眼を持つこと自体が難しく、そこをお客さんにわかってもらえるだけでも嬉しい」と、こちらのオーナーさんはよく語っていました。
それは物自体が刻んできた歴史への関心や愛着でもあるのだと。そして、そうしたことを理解していってもらうことが、将来の顧客を育てることでもあるのだと。


薄々勘付いてはいましたが、アンティークジュエリー業界自体がそこはかとない胡散臭さや殺伐とした雰囲気が漂っていて、それは客の知識不足、時には売り手側の知識不足、それにしては高額のお金の動く業界だということから来ているのではないか、と、私は勝手に思っていました。良心的なセラーさんにはすみません。

だからこそ、商売とはまた別の次元で、そうした言葉を語っていたセラーさん自身が、実は客のランク付けをきっちりしていて、将来の顧客(笑)よりも現在金離れの良い上客を大切にしているとしか思えない行為を行っているのに出会うのは、余り気分の良いものではありません。
もしそれを知らないところで繰り返しているならば、ある日上客が姿を消した時、一見さん以外の誰が客として残るのだろう、と要らぬ心配をしてしまうのですが、まあ私の店ではないので。

たとえ本当に虚構の上での口上だったとしても、幾多の美学と数個の美しい品に出会わせてもらえたことには感謝しつつ。


正直腹立ちが止まらず、近くの古着屋や骨董屋を冷やかしながら、気付いたらかなり遠くまで放浪していた私でした。つか、帰宅して気付いたけど、怒りの余り忘れていたが今日の私は締め切り明けでふらふらしていたんだった。
帰宅後、ばったり倒れた。
posted by deco at 20:30| Comment(3) | TrackBack(0) | アンティーク関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
やほ。
何故かこういうエントリーに限って何故か来てしまう人です(なんでだ)。
この手のものってやっぱり縁(人の縁、機会の縁)なんだろうと思いますわ。ジュエリー以外も。

その昔、スクエアベネチアングラスで出来たアンティークというには微妙に新しいネックレスを入手したことがあってさ、あげる相手も分かってるし、姿形も分かってる、着けた時の感じっていうか鎖骨とネックレスの妙も完全に想像できるし、絶対に似合う(きっとちょっとエロいw)。と思って入手したのに、渡す機会が何故か中々なくて、結局何処行ったのか分からなくなった(本当の意味で死蔵)なんて事もあるしね。今にして思えば現状妹分にそれっちうのは新フラグの元(最近覚えたw)になりかねない、恐ろしいアイテムだったので、逆な意味で良かったかもしれぬ。とか微妙に思っちゃったり。

ま。その縁っちう言葉をワイルドカード的に使い過ぎると、自分を(無理に)納得しようしてる感じで凹んじゃうけど。ね。

店の縁は、、、中々難しいよなあ。趣味じゃなくて、趣味人相手に"商売"しているというのもあるので、ショップの人は顧客=>常連(買う人)=>常連(あんま買わない人)=>一見さんって感じで優先度を付けざるを得ないんじゃないかとは思うし、面白そうなアイテムがあったら、ショップにとって優先度の高い人に優先的に紹介することで客を繋ぎ止めたいという考えは完全に納得できないけれども理解はできる。

でも、理解だけーw

Posted by あっさむ。 at 2006年05月12日 07:40
私もロンドンの専門古書店にて上客と認知してもらうためにえらい苦労をしたもんですわ(遠い目)。店頭に並んでないブツを奥から出してきてもらうのに半年3000ポンド使いましたかねえ。それもただ札びら切るだけじゃ嫌な客ですし。アンティークの冥府魔道はさらに棘の道でありましょう。でこさん、がんばれ。
Posted by E-3PO at 2006年05月13日 07:16
>あっさむさん
お久しぶりです。
私は蒐集癖があるというか物フェチというかマニアというかなので、物と自分との関わりを新旧問わず縁だ、とか考えてしまう方なのですが。
ヴェネチアングラスのネックレスはまさに物と人とひとくくりに、まさに”縁”な感じですねー。せつない。。


>ショップの人は顧客=>常連(買う人)=>常連(あんま買わない人)=>一見さん

や、文章が拙かったのですが、そもそものきっかけにしても、状況が見えたら購入には踏み切るつもりではいたし、それも伝えたのですよ。ただ、少し時間が読めない=店にも時間のロスという迷惑がかかるかと思ったので、店判断に任せると。

ま、今回の顛末にしても、色々勉強になったこともあるので、結果オーライだと考えた上で、その店は客あしらいが下手で白けるなあ、と腹が立ったわけです笑。
や、なぜ白けて腹が立つかというと、散々美学を吹聴している人間が金銭に絡む場面で野暮を見せることほど白けることはないし、私のような小娘風情にも透けて見える程の野暮は美しくないので腹が立つ、と。そういう感じです。
それを「必死だな−」とか愛らしく見えるようになれば、こちらももう少しこの世界と丁々発止とやり合えるのかもしれませんけど笑。

>E-3POさん
おひさしぶりです!
英国老舗に上客と認められるまで鼻であしらわれるのって、妙にマゾヒスティックな快感があるのですが、京都で似た扱いを受けると多分腹立ちが止まらないような気がします。単に西欧コンプレックスじゃねえか、って感じですね笑。

>それもただ札びら切るだけじゃ嫌な客ですし
ですよね。いずれにせよ、自分も品物に対してひけを取らない程度に粋なことが必須なようなので(本来)、精々冥府魔道を歩むであります。
Posted by deco at 2006年05月16日 00:32
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