2006年05月21日

昨日のダヴィンチ・コード宣伝特集番組(本気でエントリするのも大人げない)

TVつけたら米倉涼子が出てたんで、駄目ぽな感じ(あの安さ加減にすっかり虜ナノ)を主に楽しく観てたのですが。

あの本つうか映画、キワモノ感は最初から漂ってたが、ああして丁寧に紹介されてみると、詳細に検証したらトンデモ本一冊くらいでっち上げられるんじゃないかつうくらいツッコミどころ満載だったのね。

全米ベストセラーとかハリウッド製作→上映とかって、ここまでアレなものじゃないとあかんのだなあ、と逆に感心。

つうか「バランスだよ!(かわぐちかいじ)」な人の描いた人体図殺人はいいが、御当人の絵には男性の大事な場所がきっちり書き込まれていたのにも関わらず、野郎の全裸死体の方には股間に強いライティングで年齢制限をかわすっていうのは大変姑息だと思う。別に私は観たくないが、せめて「野郎の(以下略)まできっちりノーカットでみたい人専用ディレクターズカット版」くらいはきっちり作るべきだじゃないとモナリザの作者に失礼だ。.
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それはともかく

単純にまとめると『ダ・ヴィンチ・コード』つうのは
『レンヌ=ル=シャトーの謎 ー イエスの血脈と聖杯』つう何だか製作背景を読むだにしょうもなさそうな本を種本に、シオン修道会なる秘密結社の歴代総長だったレオナルド・ダ・ヴィンチが、その活動を通じて知り得たイエスの秘密を絵画『最後の晩餐』に描き込んだ「暗号」を巡るミステリ、つうことらしい。んでその秘密=「マグダラはイエスの妻で、イエス磔刑の後フランスに渡り、サラという娘を産み生涯を終えた」つうやつらしい。

んでなんか前述の種本の種本の殆どはこのシオン修道会の創始者の創作のようだし、むしろこのシオン修道会とやらの思想的バックグラウンドの方にちょっと関心が出てくる(なぜマグダラにこだわってるのかとか)んだけど、その前に、それを真に受けて研究してる人までいたりで、色々呆れんばかりだったりする。その辺を「”謎”の信憑性」としてこの映画のパブにしてたりするんだが、テンプル騎士団は出てくるし、「ナグ・ハマディ写本」まで出てくるしの大盤振る舞い。
なんか最初、エーコの『フーコーの振り子』の貧相なぱくりなんだろうか、とか思ったんだけど、ウィキで調べただけでだいたい前述の変な歴史番組本でまかなえる程度のものだとかわかっちゃった以上、こうした各種秘密結社系の扱いも知の迷宮もお粗末なもんなんだろうなーというのがますますはっきりした感じ。
多分「ダ・ヴィンチはどんな馬鹿でも知ってるだろ→イエスとマグダラくらい(以下同文)→こいつらの間にロマンスがあったという話題ならマスを十分カバーできるだろ→ミステリ&サスペンスの味付けとして、マイナー系から少しメジャー系まで秘密結社の存在を入れておくと、読者や観客も、頭良くなった気がして大満足→いける!」つう、作者の思考の流れがあたかも見て来たかのようにわかってしまうようなさもしい内容ですな。
つうことでふーすっきり。


ついでに共観福音書をざっと漁ったところ、マグダラと罪?が結び付けられて書かれているのは、かなり苦しいけどルカ8:2だけ。ここも「7つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリア」という描写のみ。マグダラと娼婦と姦淫の罪って何故か一般的にセットになってるし、特に「イエス、石打ちの刑から姦淫罪の女を救う」エピソードの「女」なんかはまずマグダラってことになってるんだけど、これも無名の女であって結び付ける根拠って無いんだよね。
ちなみにウィキの「マグダラのマリア」の記事。「罪の女」とセットで読むと面白さ3倍。


カトリック諸国において聖杯伝説や聖母信仰やクリスマスが、キリスト教以前の宗教のキリスト教への習合と深い関係があるのは知ってたけど、要はマグダラもまた何らかの地元信仰のキリスト教への吸収合併のための信仰対象となってた、つう話だよね。砂漠の神をヨーロッパに移植するに及んで、ヨーロッパの地は「母」たる存在をこれほど多くのバリエーションで必要としたんだなあ、というのがいろいろと感慨深い気がしました。


ちなみに『ナグ・ハマディ写本』は、ウィキの記事の通りやっぱり「なんだグノーシスか」な文書群で、いわゆる『(マグダラの)マリア福音書』もこれに含まれてるようです。
グノーシスや東方正教会の思想なんかは、西方教会が葬り去ったリ忘れ去ったりする以前には、イエス・キリスト信仰に関しいかに多くのバリエーションが存在したか、ということを示していて、外典偽典と同様に面白いものはあるんですが、ということは残された共観福音書のイエスがどこまで本人の姿を留めたものなのかも怪しいものであることを示していて、せめて暴れん坊イエスだけは何かの間違いで残っちゃったものだと思いたい(笑)。


んでもって、更についでに言うと、ニカイア公会議の主な論点は三位一体論についてであり更には西方対東方の権力抗争であって、番組が言ってたように、文書類の不適切な箇所の改竄作業なぞではありません。
改竄は確かに各文書に地味に行われてはいるけど、精々正典を選り抜いて現在の順番に編集しただけって感じだし。じゃなかったらマルコなんか残っちゃいなかったようなプリミティブな文書なのですよ。
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