2006年06月27日

俺は人間をやめるぞォォォォォォ!(ディオいじらしい)

ではなくて。
「俺」を「わたし」に
「人間」を「アンティークコレクター」に
置き換えてお読み下さい、な気分です。


.
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いや、私が「本当に心惹かれて」という意味ではじめて買ったアンティークリングがあって、それは本当に気に入っていたのですよ。
推定紀元1世紀ローマ、小さな★のインタリオが入ったシルバーリング。紀元前後付近のローマのインタリオといえば、主に神話モチーフだったりして、その後西欧文化の中で幾度となくリバイバルがやってくるに足るだけの文化の洗練の一端が見て取れるわけですが。そうしたギリシャ伝来(つうか奪い、換骨奪胎するという形で継承したわけですが)の洗練ではなく、どことなく土着感やオリエント臭の感じられるリングでした。幾層にも異なる色の重なるアゲートの円錐のトップに彫られた★マーク。
や、★マークと書きましたが、真上から見るとリング全体が眼球みたいで、そのインタリオは眼の光彩のように見えるのですよ。だから、どっちかというとこのリングはイビルアイ(魔よけ)として作られ、使われていたんじゃないか、と思ったりはしてました。どっちにしろ、合理主義とは対極にある土着感を感じさせます。
そんなリングは、私にとってイエスの息吹がまだ残っていた時代の、乾いた砂や荒々しい岩場のあの風景が感じられるリングでした。や、出土場所はわかってないんで、勝手な私の思い込みなんですけどね。そんなこんなで、躊躇いながらもどうしても自分の手許にあることが大切なような気がして、初めて必死になって買いました。
そして、何となくそれは私に力や前に歩を進める勇気を与えてくれる気がして、私はそれを営業や打ち合わせや取材の時に必ず身に付けていました。

だから私にとってそのリングは、たとえインタリオとして稚拙で無価値で、シャンクがオリジナルかどうか怪しいと言われようが(別の店でいわれた)、そんなことはどうだっていいのです。それに心を惹かれた時から生まれた、私とリングとの絆の方が余程私には意味があることで、一生ものの自分だけの宝物であって、戦友です。そしてそれをはめた手許を見る度、もしかしたら彼が生きていた時代に間に合ってたかもしれないその石は、私を厳しくも悪戯っぽく励ましてくれていたのでした。


しかし。
所詮紀元1c頃、そうじゃなくてもどこかのリバイバルブームの時期に造られただろう、少なく見積もっても数百年以上前のシルバー。
もともと自分の指には少し大きかったので、サイズ調整金具を付けてもらって着用していたのですが、ちょうど指の腹にあたるあたりが腐食か何かで傷み始め、石が台の中でぐらつき始めたのでした(盛り上がったデザインの石のため私があちこちぶつけたのもいけないと思う)。
そこで購買店でお直しを頼んだら、いっそサイズ直しをしてしまおう、ということになり、「サイズ調整金具の爪がリングを傷つけても…」と思ったこともあって、それを了承しました。

それが本日いよいよ手許に戻って来ることになっていて、先方の用事のためお貸ししていた薔薇のブローチも一緒に連れ帰れるというので、店におもむいたのですよ。


ちなみに先日半泣きで書いたシルバーリング騒動のあったお店なのですが、他の幾多の件も含め、気になることが積み重なったため、「気に入りの場所を失うのもやむなし」な覚悟でクレームを入れました。結果的には双方で意志疎通に問題があった部分があったことも判明して、一応の和解が成立したので、一応終わりよければ全てよし、と書いておきますが。

そしてそもそも私も、魔に取りつかれていたように、レース、ホワイトワーク、衣類、アンティークジュエリー、とアンティークの世界に没入していて、ちょっと眼を惹く良い品があるとすぐに集めたくなる堪え性のない状態になっておりました。なので、それが本当に私の手許に必要な品なのかどうかを冷静に見極めることなど不可能な状態が、ある意味自分の経済的限界に近いところまで踏み込みそうになるまで止まずにおりました。逆に、私に無尽蔵な経済力があったら、「お母様、わたくしにも買えないものがありましたわ(笑)」な、金に飽かせた単なるコレクターに堕していたように思います。別の店のお客さんで、確かに稀少価値を持ち、なおかつ美しいものを次々と目の前で自分のものにしていくコレクターさん(はまった時期は同時期くらいらしい)がいて、実際そうしてどんどん上客になっていくわけですが(笑)、正直彼の存在には「金があるやつはいいよな」とかいう嫉妬のような感情と、「彼はそんなに頻繁にごろごろ集めて、ひとつひとつにちゃんと愛着を抱けるんだろうか」という疑念を持っておりました。つうか私にもそのくらいの僅かな理性が残っておりました笑。
凝り性の初心者が陥りやすい失敗、と言えば可愛いものですが、勉強代としては、アンティークを嫌いになる際どい境を歩むような、ちょっと嫌なことも多々あったりもしましたし。


なので、今後は稀少価値だの何だのに惑わされず、本当に自分と惹き合うものに出会ったら手許に置くというか、少なくても愛着のある品だけに囲まれていられるような、アンティーク好きをやっていこうと思いました。初心に帰って。
タイトルの意味はそんな感じの意味です笑。


ていうかリングの話に戻ります。
そのリングは、シャンクが横にやや楕円に広がった形をしていて、いわゆる真円のリングサイズでは指定できない感じのものなのですが、ひとまず横は置いておいて、縦が私の指のサイズに合うように直しをする、という話になっていたのでした。
しかし、何故か横がその指定サイズで返って来た…ので、指に入るわけがない、という状態なのでした。

お店の説明では「そちらの職人も職人気質で、一度サイズを詰めたものをまた広げるのは出来ないと言うかもしれない」、「できれば何度も火を通さない方がいい」「現状渡しで、他の入る指では駄目か」とのことだったのですが、たまたま店主さんが不在の時だったこともあって、「職人とも相談した上で御相談」という話になって、再びリングをお店に置いて帰りました。

直しを入れることになった段階で、火を入れることは覚悟していたので、何だか新品のアンティーク加工品みたいにぴかぴかになって帰って来たシャンクにはちと泣きそうではあったのですが、それでもわかってたことだし、と思っていました。
だから、この際何度火を入れようといいのです。
私が本来はめていた指にはまるよう、指定通りのサイズに仕上げ直してくれれば(それで追加料金取ろうとしたら怒るけど)。
…ていうか、「職人が無理と言ったらその時御相談」て、何を御相談するんでしょうね。個人的にはそっちの方が怖いと感じるくらい、アンティークジュエリーやそれを取り巻く世界に畏縮してしまったので、どのみちジュエリーコレクターにはならずに済んだとも言えますが笑。

お願いだから、当初の希望どおりの直しをしてもらって戻って来て。そして、本当にこの世界が嫌いにならないよう、お店は最終的には良心的な仕事と請求をして。

そんな気持ちでいっぱいになりつつも、明日は仕事の打ち合わせです。
押忍。
posted by deco at 00:32| Comment(5) | TrackBack(0) | アンティーク関係 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
まあー。好きという気持ちだけで単純に愛でられない世界なのですねアンティーク道。本来その品物が背負ってきた歴史や想いの上に自分のそれも重ねてゆくという奥ゆかしい出会いとお付き合いなのでしょうにー。
 
Posted by うさお at 2006年06月28日 00:27
骨董は魑魅魍魎の世界だからなー。
それはともかく、指示通りに仕立てなかったのだからフツーは契約違反だよ。そこんとこ難詰してあげたまい(笑い
Posted by peter at 2006年06月30日 07:40
>うさおさん
私もコメント頂いたような気持ちでアンテークものには接していたつもりなのですが(半分憂さ晴らしや中毒のようにのめりこんでる時でも)、でもそれって結局はあくまで購買者側が持つかもしれない気持ちの在り方なんですねー。
商売やってる側は、それじゃ成り立たんわけで。扱ってる品の行く末を本気で大事に考えて売ってるようなセラーさんに出会うと、ちょっとほっとします。

>peter
今再度直し中なんだけど、一度目に言われた金額より嵩増ししてたらぶっ飛ばす予定。一度喧嘩してから、それなりに注意深く扱われるようになったから(笑)、多分大丈夫だと思うけど。
Posted by deco at 2006年06月30日 09:48
注文どおりに仕上てなければ、ケチつけていい場面だろう。
Posted by タクロウさん at 2006年07月03日 12:51
できるだけ見た目エレガントゥに己の希望を通すのが腕の見せ所というか、客としてこの世界に残ってくコツのような気がしたですよ。
Posted by deco at 2006年07月04日 02:41
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