2006年10月22日

勝新VS北野 新旧『座頭市』対決とF1ブラジル戦予戦

仕事しながら横目で勝新最後の座頭市映画を観ていたのですが、これ市としても晩年を迎えつつあるアウトサイダーの姿なんですよ。.
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んで、なんかTVシリーズの(最近時代劇チャンネルでずっと放映してたの)頃の「本当は人恋しくてたまらない市」から、「人恋しさはあっても諦念の方が強いというか、背中に絶対の拒絶がある市」に変わってしまった姿を見て、なんかやたら泣きそうになってしまった。

世界観も、TVシリーズの(リリカルとしか言いようがない)ほんの弱い日だまりが儚いものと知りつつ、嬉しそうに堪能する市、といった、ある意味色彩豊かな世界じゃなく、とてつもなく荒涼とした風景の中を市が歩いている世界に変わってるし。緒方拳演ずる武士と、世の中にある色彩の話をする場面だけは、艶かしいほど「眼に映る色彩」の空気のようなものが漂うのだけど、でもこの映画での市は、緒方との交流をむしろ絶ち切るように振る舞い、ラストの結末に繋がる(TVシリーズの頃だったら、ちょっとした交流エピソードが出来ていそうな流れだった)。

そんな市になるまでに、どれだけの期待と諦めを経たんだろう、と、私はそこばかり気にしていたので、むしろ殺陣のシーンが大杉で煩く感じたりしました。情感の方だけで纏めればもっとよかったのにー。
でも勝新の演技はマジよかった。
そして息子は体型だけそっくりだった笑。


んで、続けていきなりたけし(いや、北野武と言わなきゃいかんのか笑)の『座頭市』が始まる。しばらく見てるが、かなり散漫な印象のシーンの連続。


途中で飽きてチャンネル変えたら、明日今シーズン最終戦となるブラジルGPの予戦やってて、ちょうど私が見ている前でミハエルのマシントラブル発生。結果、一応マッサがポールを押さえたとはいえ、ミハエル10位からのスタート。
これが明日引退戦となる予戦結果となってしまったことに、猛烈な不安を覚える。…ていうか、明日で本当にミハエルの走る姿を観るの最後になっちゃうんだ。そう思ったらまた涙(なにぶん夜中なので涙もろい)。



その後再び北野版にチャンネルを戻して、一応最後まで観たけど、正直ストーリーの把握すら難しかったです。
何より「実は盲目ではなかった」つう市の設定は何なんだ一体。それ座頭じゃないじゃん。しかも、盲目のふりをしている理由を問われ、「盲の方が人の心が良く見えるから」とか答えていたけど、それって物凄く嫌らしい傲慢な発想なんじゃなかろうか、と思う。余りのキャラ改変にびっくりして、本気でしばらくポカーンとしてしまった。

だって、見えないというハンディ故に、朧げに覚えている色鮮やかな世界や太陽(お天道さん)の光に焦がれ、出会った人々の暮らしにちょっとした温もりを感じ、アウトサイダーである寂しさを感じているのが座頭市という人物像の根幹だったんじゃないのかと。



私も勝新のTVシリーズを観るまでは、「猛烈に剣術が強い座頭の話」ってくらいの認識しかなかったから、多分そこだけに着目すれば、確かに北野版『座頭市』のゴルゴみたいな人物造形になっても不思議ではない。だけど、制作の際に仮に勝新の『座頭市』を観て、「ハードボイルド男のロマン(←多分一般的にまず最初にくるイメージだとは思う)」としか受け取れなかったとすれば、それは物語製作者(いや本人、世界のキタノだから笑)としては、凄まじく鈍感な感性としか言いようがない。

というわけで、本当にいかがなものか、と思った北野版だったのだけど(北野独自の深みを見せてくれるような出来だったなら、それはそれで別物として許せたと思う)、ふたつ物凄く新しい視点が入ってた。これ重要。

★その1。
刀剣など長ものは、案外人の頭にぶつかったりして危ない。刀を差した同僚の脇で屈んだ後立ち上がる時には、頭上には気を付けるべし。

★その2。
田植えをしながらのタップダンスは、足許が滑り大変危険なので慎むべし。


以上。


posted by deco at 05:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 書評とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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