2007年06月19日

異界は日常の中にこっそりと紛れていて◆恩田陸『ネクロポリス』 6/20加筆

栗山千明ちゃん目当てで見ていた『六番目の小夜子』の原作を読もうと思って手に取ったのが、恩田陸という作家との出会いで、一応経歴を読むとこの作品が日本ファンタジーノベルズ大賞に入賞かなんかしたことがデビューのきっかけになったそうだから、ちゃんと職業作家としての最初から立ち合ってることになるようです。

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といっても、『小夜子』は担任役を除いてドラマの方が良く出来てたし、他に何冊か読んだ恩田作品も、何を読んだのかすら出て来ない有り様です。
すごく琴線に触れてくるモチーフとか情景とかはあるんだけど、最終的な読後感があんまり好きじゃないんだと思います。

といっても、桐野夏生作品のようにえぐいもの見たさで読んじゃうようなアクの強さもなく(読んでる冊数に比例する感じでこの人の感性は嫌いです)、オースターを読んだ後、「私はノスタルジーを求めてたんだなあ」とか毎回自己確認をしてしまう程、読後感が上手くノスタルジーに結びついているわけじゃない。
多分、「ノスタルジー」と「恩田陸」って、わりと一般的に結びついてると思うんだけど、そのイメージ程、最終的に残るものが少ない。淡々とノスタルジックなにおいをまぶして、比較的悪くない文章で物語を紡いでる。そんな印象。
ノスタルジーって必ずしも「大人になる時にくぐり抜けてきたあの季節」への憧憬のことじゃないと思うんだけど、恩田作品のノスタルジーはそういうにおいが共通している気がする。


んで、これは作品の商品価値の部分なんだけど、「不在」という存在を中心に据え、民間伝承や噂話しの類いで輪郭を取って行くことで(そうしてミステリー仕立てにすることで)、「不在」の「不在たる不気味さ」を物語の牽引力にしようとしているように思うんだけど、これで読みって合ってるのかな。

なんていうか、先にも書いたけど、琴線に触れるモチーフがあるから図書館とかで見つければ借りて読むんだけど、何が何でも読みたいって情熱が湧かない。「不在」っていうものは本当は凄まじいパワーを放っているモチーフだと思うし、物凄く好きなモチーフなのですが、それを扱っていながら淡々と存在し、淡々と不在やノスタルジーを語ってみせる作家。続きを一気に読了してしまいたかったり、読み飛ばしが勿体なく感じたり、そのどちらの吸引力をも持ってない。読後感は微妙にハートフル。それが私にとっての恩田陸のイメージです。
(個人的にノスタルジーとハートフルは安易に共存しちゃいけないと思ってるんですが)

『ネクロポリス』は、アナザー・ヒルというイギリス領の小さな島(そして死者と生者の境の島)で行われる、死者と会う行事「ヒガン」の最中に人の失踪、殺人などなどが起きてさあ大変、というミステリー仕立てのファンタジーで、ちなみに日本はイギリス領になっているため、日本の風習とイギリスの風習が習合したりしているようです(すいません。v.ファーはその聖地の周辺の地域の名称でした)。

アナザー・ヒルという島の描写、「お客さん」(死者)の描写はけっこういいし、イギリスと日本の慣習の混合物も面白いのだけど、ふと気付けばこの作家、日本の口承伝承のような言霊系のモチーフがすごく好きだったような気がして、ちょっと萎える。要はそこを出したくて「イギリス領日本」って設定を出したんだろうか、とか疑っちゃうから。

そしてちょっと私に希望を与えるのは、この人のあんまり華のないストーリーテリングでも文学界的にはOKなのか、ということなのですが、反面、早稲田出身ということで、ちゃんと文学界的に毛並みがいいじゃないかコンチクショー(泣)というがっかりイリュージョンもあります。

まだ読み終えてないんですが、ま、日本の習俗が混合しすぎなところを除けば、そこそこ面白いです。


★6/20 読了しました。

最後のオチ、あれは何だ(昨日読み終わりました)!
ネタそのものは悪くないけど、オーケンの「ラ〜ララ〜ララ〜ラブゾンビ〜〜〜〜♪」とどこが違うの?

カタストロフと新たな形やりたいのはよくわかったんだけど、終末感というか、何かが決定的に喪われてしまった感覚を書かなきゃいけないとこなのに、それがびっくりするくらい無い。

主人公が淡々とした性格なのはよくわかったよ。そのおかげで起きてしまったカタストロフの状況もよくわかったよ。ラインマン(もしくは「ヒガン」で「お客さん」と出会う素質のある人たち)の係累の推察も唐突すぎて、それが物語世界にどういう意味を加味していくのかわからない。何故ならそれが終盤過ぎて、ラインマンのリアクションも無く、それなりにその手のジャンルが好きな人はある種のイメージと共に知ってるビックネーム、でもそれだけ、って感じだから。

だけど、どれほど「びっくり」を羅列しようと、それは広げた風呂敷を畳むのに精一杯という印象しかなく、決定的に変わってしまった「何か」がこの先どうなっていくのか、という見通し一つ提示できない。
個人的にはカタストロフを「この世の終わり」として描けなかった時点で完全に終わってると思う(途中で主人公が思い付くままに立てた仮説の方が全然ましというか、纏めやすかったと思う)し、おそらくその一点のみにベクトルを向けて進めていた物語だったと思うので、それが描けない以上、失敗してしまった物語でしかないと思う。

ちなみにその原因の一つとして、(一緒にしちゃ恩田陸に気の毒だが)ウンベルト・エーコが扱ったようには宗教・教義・信仰やそれに伴う習俗に対して、深い知識や考察と、それに対する何らかの深い感情的考察(笑いと怖れの両面を含んだ)が持てていないことだと思う。エーコじゃなくて諸星大二郎さんでもいいんだけど、そうした現代人が持ち得ないものに直面した時にどうなってしまうか、その考察が感情レベルまできっちり行われていない。日本の習俗をキーとして使う作家として、あってはならない弱点じゃないかと思う。一度くらいリアルに考えてみろと言いたい。さっきエーコを引き合いに出したのは、彼が西側のそうした事情のプロフェッショナルだからで、もっと小さな出来事で終末感を乾いた笑いとともに描き切ってみせた作家でもあるからなんだけど。

主人公=現代人の代表みたいな人間であると同時に、脈々と流れる深くて暗く豊かな呪術的民族の末裔であるならば、最後まで現代人のままであるのは決定的な失敗というか、恩田陸という作家がそうしたテーマを扱うのに不適格なパーソナリティだという証明のようなものだ、と私は思う。

辛口で申し訳ないけど、これは「if物ファンタジー」かつ「娯楽」、そして「物語のオチ」として片付けて良いものではなく、とてもシリアスなテーマで、この物語の語り始めから流れているテーマだと思うし、この作品を傑作にも駄作にもし得た重要な分岐点だと思う。

もう一つが、英国国教会、ケルト、そして日本の宗教的習俗を舐めていること。物語の中盤までなら、「日本はかつてイギリス領になったので、キリスト教と日本の民間信仰が教義ではなく習俗レベルで融合しました」っていうのはそこそこ面白いif設定だと思う。でも、日本ほど各種宗教の流入に一見寛容でいながら、最終的に全国的なムーブメントにはけしてなり得ない、不寛容な民族もないと私は思うし、それは日本人の不真面目さと、何だかんだいって長い島国の歴史とともに、民俗学レベルとしてのみある種の信仰心が深く根付いていることが起因しているんじゃないか、と思う。
対する英国国教会もしくはプロテスタントは、いわば中世の長い神学考察を経た先に生まれた生活型キリスト教(笑)であって、今更教義の隅々を突ついたりはしないけれども、常に習俗においても信仰心においても忠誠を要求する、歴とした宗教であって、それらがいとも自然に日本人と英国人との間で習合することなど、おそらくあり得ない、と思う。あるとしたら、非常に局地的かつマイナーな地域での小さな現象であって、それは両者を全く別物の第3の信仰にすることで成し遂げられるようなものであると思う。そうじゃなかったら、日本にキリスト教はもっと根付いていてもおかしくない、と私は思う。
だから、習合したというifがあるならそれでもいい。
この物語は、「そうした慣習を持ちながら、現代的理性をも身に付けてしまっている人々にとっての終末」を描かなければならなかったのだ、と思う。おそらくそうした事象に対し、作家本人の興味と畏れが余りに無いのが問題なんだろう、と思う。

そんな感じで、この作家の読後感が余りに何も無い理由が何となくわかった気がしたのでした。扱う素材に対し、悪い意味で不真面目で、仕掛けとして扱っているその部分が、感覚的な部分でこの作家が心底関心を抱いているテーマではおそらく無いからだと私は思います。

この作家はナマの部分で勝負していない。
だから桐野(しつこいけど嫌いなんですよ笑)のレトロな露悪趣味にも、村上龍ちゃんのそそっかしい恐怖感にも押し負けする。素材に対する最低限の調査や考察という点でダントツに負けてるから、佐藤亜紀の衒学趣味にすら負ける。
そんな感覚です。

あーラストはがっかりした(途中までは面白かったんですよ。今までで一番)。
posted by deco at 04:52| Comment(3) | TrackBack(0) | 書評とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
六番目の小夜子は知ってます。僕もNHKのドラマで見てました。しかし他は・・・分かりません。やはり人生経験と共に色んな人の色んな作品にであったりしていきたいですね。
Posted by toshi at 2007年06月20日 17:53
こんにちは〜。
私はどっちかというと活字中毒なので、あんまり参考にならないかもですが、無駄な物でも何でも読めるうちに読んでおくのって結構大事なことだなあ、と、仕事するようになってから思いました。
とにかく本の内容に純粋に没頭する時間や精神的余裕が減るんですよー。ダントツに。
学生時代に読んだ時、あんまり共感できなかったり、なんじゃこりゃ、と思ったものでも、どこかで自分とかすってるものは結構覚えているものだな、と経験上思います。
不思議なもので、労働者になってから(笑)全く知らないものを読むより、一度読んだことがある本や同じ作家のものだと、かなり読むストレスが減るんですよ。なので、時折学生時代に読んだ本なんかをふと思い出して再読してみた時なんかに、「初読の時の当時とは印象が全然違っててびっくり★」な楽しさも結構いいものですよ〜。
いい本に巡り合えるといいですね!私もいつまでもいい本と出会いたいです。
Posted by deco at 2007年06月20日 20:53
読むたびに印象が変わるというのは是非とも経験してみたいですね。確実に一歩づつ良い年を経ていきたいです。
Posted by toshi at 2007年06月21日 20:07
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