2019年05月07日

『少女葬』を読みました。

わたしホイホイワード「少女」で、ふらふらっと手に取ったとか言うな。


おそらくは一連の実際のリンチ殺人事件に題材を取ったもの、と思って読んでみたところ……
重要なネタバレはせずにおきますが、いわゆる貧困ビジネス全般が背景に絡んでました。

少女葬 (新潮文庫)
少女葬 (新潮文庫)

.
貧困ビジネス関連の大枠を知るには、多分わかりやすい本なのかなと思います。
本書に登場する人物たちは、お金や力の無い人間か裏社会の人間で、いわゆる上級国民(笑)はいません。ほんとに下層の部分だけの地獄の中で、人がどうやって「他者を喰い」「喰われて」いくか。喰われた末路はどうなるのかを、ふたりの少女の死闘の背景に描いています(多分書いている以上をちゃんと取材している)。主人公ふたりの死闘すら、「喰われる」ことに抗うための死闘なのだと思います。
だからおそらく、改題前の『FEED』のほうが正しいタイトルなのだろうな、と思ったりしました(いやディックファン的には、同じ意味合いでも、もうちょっと引っかかるタイトルを付けられそうな気はするのですが)。

といっても、本書はあくまで小説であって、実録物だの啓蒙書だのではないので、先に挙げた貧困ビジネスの下層の構造などなどは、背景として自然に頭に入ってくるので大丈夫。難しいとかはないです。文章も読み易いし。

そして改題後の『少女葬』。
これもまた、「無力な未成年である少女」がいかに葬られていくか、という意味合いでは、まあ正しいタイトルなのだろうと思います。帯を見てリンチ殺人事件が題材か、と思ったし、ケッチャムの『隣の家の少女』で、もうわたしの無垢は失われてしまったので、だから半分くらいしか『少女』キーワードで釣られなかったけれど、このタイトルに対して「わたしの無垢を返せ(笑)」という気持ちはちょこっとだけ無くはないです。

いや、未成年犯罪者でよく「少年(19歳)」とか「少女(17歳)」とか報道されることに物凄く違和感があってですね。普通に「未成年男性」「未成年女性」でいいだろ、と思ったりしてですね。

わたしの自前の信条なのだけれど、「少女」というのは年齢じゃないんですよ。ある種のリリシズムと魂の在り方を示す概念なんですよ。ミス・マープルをもって至上となすものなんですよ。魂の在り方というのは、その魂の強靭な無垢さ(無知という意味ではない)や、若々しさ(幼さや経験の無さからくる愚かさという意味ではない)や品位、とでも言ったらいいのでしょうか。
わたしも永遠の少女を標榜できる存在でありたいものです。日々絶賛努力中です。

だから、未成年だからといって、少年法適用駆け込み犯罪を犯すような輩は、単なる未成年であって、決して「少年」「少女」なんかじゃないただのクズ未成年だし、ともかくその言葉を使ってほしくない。


それはともかく。

作中に、「弱いことも愚かなことも罪」という台詞が登場します。
巻末の書評に「このふたりの運命を隔てたのは当人の在り方ではなく、小さな偶然ではないか。そこに怖さや深く考えさせられる要素がある」的なことが書かれていますし、生き残った方もそんな気持ちを抱いたりします。
でも、ふたりの置かれていた状況(親からの逃亡によるシェアハウスでの出会いと、そこからの脱出を願う気持ち)は同じであっても、「守りたいもの」、そして行動原理や実際の判断はまったく正反対だ、と、わたしは思いました。
片方は、いわゆる断れないタイプ、自己主張より調和や愛(間違っていても)を求めるタイプで、少しおばかでも優しい性格の子でした。もう片方は、状況に流されまいと焦り、疑念と危機感の強い、比較的聡いタイプの子でした。

巻末書評を読んで、「後者の子は、もし『小さな偶然』が無かったら、やはり喰われていったのだろうか」と、やたら考えました。
いわゆる一家皆殺し事件系の犯人たちって、何が何でも流されずに断る人間は最初からタゲらないんですって。支配できず、面倒臭いから。
その法則でいえば、作中の「小さな偶然」と巡り会えなかったとしても、彼女は別の脱出口を見つけて逃げ延びたのではないか。なぜなら弱くも愚かでもないから――そんな風に思いました。逆に、彼女が真に無一文の状況まで追い詰められた場合はどうなったのか。それを作者に問うてみたい暗い気持ちも、同時に生まれました。彼女が「小さな奇跡」を活かせたのは、まだ戦う気力の源泉となる資金が僅かに残っていたからだともいえるから。なにせ、彼女を「喰われる」側に引き込もうとする手は無数に在り続けたのだし、落とし穴も地雷原地帯並みに広がっていたのだから。

それでも、彼女は逃げおおせたのではないか、と、個人的には思うのです。

だから、彼女が得た安全地帯で、「これは君の自力ではなく、小さな奇跡に恵まれたからだよ」と彼女に対し諭す人物が登場するのは、「己の賢さや強さを過信するな、正しく手を差し伸べた存在への感謝を忘れるな(でないと「喰う/喰われる」側にすぐに堕ちる)」という自戒を促したかったからなのかな、と解釈したりしました。


そして、性格の優しい前者の子。彼女は



..............................ネタバレという程でもないネタバレを含みます...............................







確かにその優しさと愚かさ故に、深い地獄に嵌まり込んでいきます。
その凄惨な末路は、娯楽という形で消費され――「喰われ」尽くされることとなります。
でも、その運命への最後の引き金となる彼女の放った一言は、彼女を生きたまま「喰われる」道から解放したのかもしれない、とも思ったりしました。それは決して「救済」とは呼べない、悲惨の限りを尽くしたものですが、もしあの引き金を引かなかったら、彼女は元同室だったもう一人の少女と同じ運命に落とされ、やはり徐々に死んでいったのではないかと思います。
それでも、生きていさえすれば「小さな奇跡」が訪れることもあったのかもしれない。そうも思います。
でも、おそらくあの引き金を引かなかった場合の彼女は、それを奇跡として気付けない、掴み取れない存在になっていたようにも思います。

それでも、もしかしたら。

彼女の引いた引き金とその末路は、生還した方の少女の呪いとなりますが、「もし引かなかったら」という仮定が、作者が読者に投げかけた呪いなのかな、と思います。彼女がその地点まで行き着いてしまうまでの二度のチャンス(おそらくそれも「小さな奇跡)のどちらかを掴めていたら、彼女は少しおばかで、でも優しい子のまま生き残っていられたのだろうか、と。
(でも、最初のチャンスでは、彼女は踏み出せなかった。そして、二度目で最後のチャンスでは、既に「彼女の声」として生還した方の子に認識されなかった。おそらく、誰にも届くことのない声だった、という点に、生還した方の子との引き返せない確かな隔絶が示されているのだろうと思いました)

彼女は、人生で初めて彼女を「喰う」存在として在った「ママ」、逃げ出した相手である「ママ」を、その人生の最期に万感の思いを込めて呼びます。他者を「喰う」存在の象徴としての「ママの目つき」を、随所で敏感に感じながらも、やはり「ママ」に愛されたかった。引き金を引いた後になお、「ママ」の愛を求めた。それは、生還した方の子の「母親との決別」と対照的です。そうであるならば、二度のチャンスのどちらかを「小さな奇跡」として手にすることができても、いつかまた「ママ」の代理の存在に「喰われた」のではないか、とも思えるのです。

――では、「喰われる」ことは罪なのか。
「喰われる」ような弱さを持った存在は、弱いと切り捨てるべき存在なのか。

それは、否だと思います。でも。

この作品に表現される袋小路のような環境や、そうした環境下で意図的に他者を「喰う」存在が見えない場所でも、生きている限り「喰われる」状況には何度も遭遇しますし、もしかしたら無意識下で、または意図せずに、自身が他者を「喰う」状況もあるかもしれません。
「喰う」ことと「喰われる」ことは、おそらくは表裏の関係だと思います(本書のようなある意味特殊な構造下でさえも。首謀者も「喰う」存在であると同時に「喰われる」存在です)。

「自分は絶対、他人を『喰う』存在にはならないよ」と言い切ること。
それこそが愚かさであり、弱さであり、罪なのではないか、と、そんな風に思います。

そのうえでなお、他者を「喰う」存在にはなりたくない。
もちろん「喰われる」状況は避けたい。
――そう祈ることは、できる。
ならば、強く、賢くなるしか、「無垢」を捨て去るしかない。



ミス・マープルの話に戻ります。
ミス・マープルはご存知の通り、決して「無垢」な存在ではなく世間知に富み、愚痴も言うし、普段は庭の雑草と格闘している老女です。
それでもなお、その後ろ姿を「少女のように見えた」と言わしめるものは、やはりある種の無垢さ(カギカッコ付きのものとは違う何か)なのだろうと思います。数多の邪悪を知りながらも、損なわれることのない類の無垢。年齢を超越した概念。
わたしの中で「少女」の名に値する存在はやはりそんなミス・マープルの姿で、わたしはそんな「少女」になりたいと、いつも願ってしまうのです。
いや、わたしの「少女」の概念なんかどうでもいいって?

確かにこの作品と「少女」の概念はまあ関係ないわけですが、事件発覚後、リンチ殺人の首謀者と成人済み一名を除く関係者は「少女(17歳)」「少年(**歳)」と呼称され報道されていくし、現実でもそう扱われるわけですが、いちいち律儀に思ったわけですよ。
本書のタイトルも同じ意味で「少女」という単語を使われているわけだし。



だから、未成年者だからというだけで「少年少女」と言うな。



*この記事は、あまり意味のないネタバレ防止のために、具体名を避けています。
 そのため、かなり読みにくさもあるかなと思いますが、ご容赦くださいませ。


 




posted by deco at 01:58| Comment(0) | 書評とか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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