2014年12月24日

教会は人のためにあるのであって、人が教会のためにあるわけじゃない(怒)

たぶん2014年12月頃書きかけた記事だと思うんだけど、なんか途中で終わってるのを発見したよ!
...
何のひねりもないタイトルなわけですが、今日はイエスの誕生日(仮)なので、教会に行ったんですよ。
といっても、比較的近所で見繕っただけなので、どういう教会なのかはHPから程度からしか予備知識はありません。「あまり干渉されない」という身近な数件の事例とか母体の身許が比較的はっきりしているという点(日本のプロテスタント団体は怪しいところが多い)で、まさかのカトリック系を選びました(何故「まさか」かというと、自分が全然尊敬してないペテロたち初代弟子たちが作った教会がカトリックの始祖ということになってるからです)。
それで、生誕祭ミサに行けばその教会の雰囲気が一番わかるかな、と思ったのですが…前夜にひとりイエス祭りで夜更かししすぎて寝過ごしまして…起きたらミサ開始時刻からだいぶ経ってたので機を逸したと思ってがっかりしたわけですが…それでも教会そのものの雰囲気だけでも、と、気を取り直して出かけてみたのでした。つづき

2009年05月17日

ベネディクト…(涙)◆「ローマ法王、無念の帰国…中東歴訪は各地で不評に」

なんか最近変に多忙で人間らしい生活をしてなくて、気付いたら何ヶ月も経過してる状態のこくでーるです。
仕事も絵より文章率の方がやたら高いです。よけい絵が下手になっていきそうです。
今事故ったら自称まんがかなのね、とか元からそうか、とかいう自虐ネタはともかく、『ネバランド』と『17年版まんが防衛白書』の在庫をどうすればいいのか、たまに真剣に悩んでます。「引き取ってもいい」ってとことか「置いてやる」って本屋さんとかないかなあ。


それはともかくですね。
気がついたら数日経過してたんですけど、ステキなニュースを発見。ステキでもないか。


「ローマ法王、無念の帰国…中東歴訪は各地で不評に」


ベネディクト悪人面すぎてヲチってたんだけど、「久しぶりのベネディクトの話題が!」と思ったら、なんだか残念なお話になってるようです(「キリスト教」カテっていうより「生温かいネタ」カテとか作った方がよさそう)。

↓以下、記事内容。続きを読む

2008年12月25日

イエスたん、(推定)2011歳のお誕生日おめでとう☆

時間的にはジャストタイムからちょっとオーバーしちゃったかも。
普段はイエスっちとか書いてるけど、なんか怒られそうな悪寒がしたから「イエスたん」呼びにしてみた。
でもいつものように、「ナザレのイエス(ソースはマルコ限定)」という人間を相手にしてるだけで、それ以外は特に意味ないです。

今年の特に後半は、フリーの私なんかもうどうしたら、って状態の不況っぷりでしたが、年末になってブッシュたんが愛らしい芸をまた見せてくれて、私の心はちょっぴりほんわかしました。
靴投げした記者の方は「拷問を受けている」と告発しているようで、まあ一国の大統領相手に靴投げテロとか実行した日には、それなりの見返りが返ってくるとかそういう世知辛い話なんだろうな、ということで軽やかにヌルーすることにして、あれはむしろブッシュたんの素早い身のこなしに注目するべき事件だったと思います。
んで、
http://www.sockandawe.com/

「ブッシュたんが靴よけるの見てるとしあわせな気持ちになる…
ブッシュたんに靴が当たっても『かわいそう!当てちゃった!』とかいいつつしあわせな気持ちになる… 」

とかコピー付けたくなった、ラブリーな靴投げゲームを遊んで、みんなで残り少ないブッシュ政権を名残惜しみましょう(笑)。


んで、今年はかっこつけて、年賀状じゃなくてクリスマス&ニウイヤーカードにしてみた画像です。きもちわるいと大好評です。
サイト用なので解像度低いけど、縦横比は合ってるので、ハガキサイズでプリントアウト&利用可能ですよん。需用があるか疑問だけど。笑。

カード2009

今年も私にとってのイエスっちの存在の意味を考えて過ごした12月でした。
(ちなみに「12月生まれの山羊座の男」というソースは、すごいがんがってもルカくらいしか出典見出せないし、クリスマスそのものがキリスト教以前のヨーロッパの地域信仰との抱き合わせというか上書きイベントみたいなものなので、イエスがいつ生まれなんてどうだっていいことなんだけど、とりあえず便乗祝いです)


私は毎年、この日時にはマルコを読むことにしてるのですが、イエスっちはほんとに感情豊かで躍動的で愛らしいですね。んで、何故(特に日本の)キリスト教はそうじゃないんだ、と不思議に思うのですが、8章34節の「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」という言葉ほど厳しく相手の立ち位置と生き方を問い、しかも完全に相手の自由意志に委ねている言葉は無いと思います。そして私はそんなイエスの言葉に惚れたんだ。

定期的に「神よわたしはこんな悪いことをしてしまいましたどうかお許し下さい(メソ泣き)」な姿勢こそがフツーの教会やキリスト者(少なくとも私の知ってる日本人キリスト者で例外はいなかった)とは対極にある言葉だと思います。なんでこんなに正反対なんだ、っていつも思う。

私はちゃんと私の十字架を背負って歩んでいるんだろうか?
今年もまた、そんなふうにして自分の歩んできた今年一年を振り返ったりするのですた。
とりあえず喧嘩早いところだけは、弟子として大変イエス譲りだと思います。笑。
だめじゃん。

2007年01月07日

法皇様ステキ★(ベネディクトネタ)

ベネディクト
▲ラブリー法皇様。


いや友達が見つけて来たこの記事からの転載なんですが。
なんつうかこの手のステキなネタにはいつも乗り遅れて本気で恥ずかしいというか口惜しいというか。続きを読む

2006年12月24日

αμεν★

まあ実際には奴のバースデイも奴自身の存在自体もあやふやなわけなのだけど、一応夜中生まれの奴の誕生日を祝ってやる。

続きを読む

2006年11月19日

正直あの場に居続けなくてよかったと思うけど、思う

つうか私の学生時代のカリスマ(でも著書を読んでる間に『この人怪しいかも』と薄々疑い始めたことから、自力でその境地から脱出)だった学者がやっぱ経歴不明のマジ怪しい人物つうか、どっちかというと活動家?な人物だったことがわかりました。

自分の中では「言行不一致の思想家(私の中で、自称「思想家」に対する最低の評価)」という評価で片付けた過去の人物だったのですが、なんか裏付けが取れちゃった感じでいまだに軽いショックを受けた自分にまたショックでした。

…そもそもこの人の本、まだ一式残してある時点で(ry

つうか研究の場が余りに生臭いんで逃げてきたようなもんなんだけど、この世界ってどの場所に行っても生臭さはあるもので、要は結局人間も生き物だから、生物臭がするのは仕方ないのかもしれないなーとか、どうでもいい感慨に耽ったりしました。
つうか人間の生物臭=生臭さって、やっぱ人間の祖先はインスマウスとかそういう類いのものだったんですかそうですかorz

2006年09月17日

ローマ法皇ばかすぎ笑

今回のベネディクト16世の失言、速攻謝罪する羽目になっててまた笑えたのだけど。
まあ先代のヨハネ・パウロ2世と比べ、より宗教者であり政治家ではなかったということなんだろうけど(つうか宗教者ならあんなとこのトップなんぞ目指さないだろうと思う)、それにしてもカトリックというでかい教団のトップとして、あまりにダサすぎというか、己の立場の何たるかをわかっていないにも程がある。テロ範囲と死者の数を拡大する気か。
そもそもコンクラーベ参加に行き着くまでには散々教会内政治抗争をくぐり抜けてきた猛者だろうに、いざトップに立ってみたらタガが弛んだというか、井の中の蛙っぷりが思いっきり出ちゃいました、つう感じなのかもしれない。
ともかく、昔も今もローマ教会はマジ腐っとるというか俗の最たるものの一つだ。…ということを法皇たる立場なら、少しは自覚しておいてほしいものだと思う。

まあそういうそもそも独善的な集団のトップの言った妄言なので、ムスリムの人たちは鼻で笑ってやってほしいものです。

2006年06月23日

イコンに禿しく憧れる

ストイックで機嫌悪そうなイエスのイコンをこないだ発見し、やたら憧れるも、うちには飾ってやる場所がないことに気付きショボーン。

東欧圏つうかロシア・ギリシャ正教の宗教画は、西欧圏ではほぼ滅多にお目にかかれない素朴なストイシズムを感じることが多くて好きです。
といっても、ロシア正教とか、カトリシズムとタメ張るくらい信者のメソ心情をかきたてて成立してるとこあるなー、とか思うし、イエス関連でのメソはかなり大嫌いなのですが、ロシア正教の宗教美術に関してどこか好意を持ってしまうのは、多分タルコフスキーの影響ってだけなんでしょう。
ギリシャ・ロシア正教について、西欧キリスト教について知ってる程度に知識を得たら、やっぱ嫌いになってしまうのかもしれん。
でもタルコフスキーの信仰の形は嫌いじゃないつうかわかる気がするです。

私のイエスはやっぱ、カペルナウム付近でやんちゃをやってた、乾いた風が似合うイエスなんだけどね。

2006年05月21日

昨日のダヴィンチ・コード宣伝特集番組(本気でエントリするのも大人げない)

TVつけたら米倉涼子が出てたんで、駄目ぽな感じ(あの安さ加減にすっかり虜ナノ)を主に楽しく観てたのですが。

あの本つうか映画、キワモノ感は最初から漂ってたが、ああして丁寧に紹介されてみると、詳細に検証したらトンデモ本一冊くらいでっち上げられるんじゃないかつうくらいツッコミどころ満載だったのね。

全米ベストセラーとかハリウッド製作→上映とかって、ここまでアレなものじゃないとあかんのだなあ、と逆に感心。

つうか「バランスだよ!(かわぐちかいじ)」な人の描いた人体図殺人はいいが、御当人の絵には男性の大事な場所がきっちり書き込まれていたのにも関わらず、野郎の全裸死体の方には股間に強いライティングで年齢制限をかわすっていうのは大変姑息だと思う。別に私は観たくないが、せめて「野郎の(以下略)まできっちりノーカットでみたい人専用ディレクターズカット版」くらいはきっちり作るべきだじゃないとモナリザの作者に失礼だ。続きを読む

2006年05月13日

マジ時間の無駄だった◇映画『パッション』書評

今日たまたまケーブルでやってたから観たんだけど、想像以上にひどい出来だったです。
確かにスプラッタ映画とか一部で言われてる通り(つうかそもそもそれが売りみたいな宣伝だったし)暴力と血は大量に出たけど、なにしろ大変説得力に欠けるめりはりのないスプラッタ続きなので、途中で退屈→うたた寝を避けるためにパン食いながら観てたくらいでした。
正直この映画が正視に耐えない凄惨さだという人とは多分絶対話合わないし、「余りのショックで心臓麻痺死した米人女性」の話はつくりだとしか思えません。続きを読む

2006年04月09日

ユダ福音書…

なんか私が旅行行ってる間に『ユダ福音書』なるものが発見されたとか
以下一応引用。

ユダ裏切ってない?1700年前の「福音書」写本解読

 米国の科学教育団体「ナショナルジオグラフィック協会」は6日、1700年前の幻の「ユダの福音書」の写本を解読したと発表した。

 イエス・キリストの弟子ユダがローマの官憲に師を引き渡したのは、イエスの言いつけに従ったからとの内容が記されていたという。

 解読したロドルフ・カッセル元ジュネーブ大学教授(文献学)は「真実ならば、ユダの行為は裏切りでないことになる」としており、内容や解釈について世界的に大きな論争を巻き起こしそうだ。

 13枚のパピルスに古代エジプト語(コプト語)で書かれたユダの福音書は、「過ぎ越しの祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」で始まる。イエスは、ほかの弟子とは違い唯一、教えを正しく理解していたとユダを褒め、「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になる」と、自らを官憲へ引き渡すよう指示したという。

 同文書は3〜4世紀に書かれた写本で、1970年代にエジプトで発見され、現在はスイスの古美術財団で管理されている。同協会が資金援助し、カッセル元教授らが5年間かけて修復、内容を分析した。

 福音書はイエスの弟子たちによる師の言行録で、実際は伝承などをもとに後世作られたものと見られている。うち新約聖書に載っているのは、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4人分だけ。ユダの福音書は、2世紀に異端の禁書として文献に出てくるが、実物の内容が明らかになったのは初めて。

 詳細は、28日発売の「ナショナルジオグラフィック日本版」に掲載される。

(2006年4月7日3時11分 読売新聞)


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2006年03月18日

キリスト者とイエス者はやっぱ違うんだよなあ

当たり前ですが。
ちなみにキリスト者とかイエス者(←普通こういう表現はしませんが笑。「人間イエスおっかけ」です)とか羅列してると、サウスパークシーズン801の挿入歌、「素晴らしいチンチンもの〜金玉のためにある〜」を思い出します。「←それは逆じゃないのか」という意見を男性の方から聞きましたが、別にそんなのどうだっていいんだー。

なんか私が自分のエントリ「聖書学は〜」でオヤジポエマー様(マイネトア)の語る聖書学への想いに絡んでいたことについて、左近さんが「正しい信仰とは盲信を強要するものでも理性を制止するものでもない」にて引用紹介なさって下さっていたのだけど、なんか位相がずれてるとすれば、総体としてみんなでずれまくってるような気がしたので、確定申告後に体力が残ってたら概観を纏めてみようかなーとか思いました。

なぜって、私の長文コメントが更に渾沌を招いてしまったからー。あう。

★3/18 やっと記事追加しました。
★3/23 その後について更に追加(…)。続きを読む

2006年02月17日

「聖書学はそもそも誰のためのものか」つうすげー基本的なお話

つうか人が珍しくそこそこ真面目に文章書こうと思ってた昨日に限ってずっとseesaaメンテ中だったな。

いやね、わたしのアイドル、オヤジポエマー様の昨日の日記が相変わらず飛ばしまくっててえろう面白くて、私も久々に文学少女気分盛り上がりまくりだったので、seesaaメンテにはマジ苛ついておりました。

やーもー「25歳で私は死んだ」とか『愛人』のオビみたいなことを衒いもなく仰ったり、かと思えば本家のブログの方では私のコメントだけ華麗にスルーなツンデレぶりで私の心を虜にしたり、「もーいいかげんにしてよそこらの佐藤浩一(唇厚くてキモい)まで青二才に見えてくる程強烈なリリカルオヤジフェロモン出しまくるの!」とか言いたくなります。

つか聖書学の話だったっけ。聖書学。続きを読む

2005年12月25日

クリスマスイヴ→当日

一応日付が変わった頃からケーキ食ってイエスっち映画(『最後の誘惑』)を観て3日後に蘇るのとそのまま生贄の羊としてアボンヌするのとどっちがかっこいいかを論じ合っていました。個人的には最後の言葉が神への抗議だってところがイエスっちらしくて好きなんですが(ていうか『福音書』という散々手を加えられて史実とはおそらく程遠い文書の中で、たしかに人間だったイエスがこの世にいたんだ、って思えて嬉しくなるからなんだけど)、だからこそその言葉はより悲痛な言葉にも、死の直前までファイティング・スピリットを失わなかった証にも受け取れる気がするです。

ま、本日の推定年齢2008歳くらいの誕生パーティにしても、実際の彼の誕生日は一切不明なわけなので、とりあえず便宜的に年一度祝っておくか、という感じでしかないわけなのですが、私はそういえばイエスと同じ立場に立たされたら最後まで臆さずに十字架にかかれるだろうか、とか映画を観ながらよく思っていたものでした。ま、人類の歴史上では、イエスの処刑なんかより余程辛い死をイエスの名のもとに与えられた人たちが沢山いるわけで(ここでいつもイエスの功罪で思考がループする)、イエス当人の苦難を自分が耐えられるかどうかなんぞは無意味な比較でしかないのだけども。

ともかく、人には自分用の十字架がそれぞれ必ずあって(少なくとも私には)、それを引き受けられるかどうか、引き受けてきたかどうかを年に一度くらい振り返ったりしてもいいような気がします。イエス有効活用の方法として笑。

とりあえずそんな感じのクリスマスでしたが、何度観ても『最後の誘惑』は役者力で持ってるけど構成が散漫だなあと思います。そしてユダはツンデレだと思います。あとラストの曲はサントラ版の方が遥かにいい。

2005年12月09日

ええ正直私はクリスチャンにルサンチマン(笑)持ってますよ

いやその、一応マーク(←英語読み)専攻した理由って、一見他の二つよりプレーンだったっていうのも大きいんですが、どれにするか決めるに当たって一応他の二つも読み比べたし、指導教授にツッコミ入れられそうだと思ったんで、遠藤周作(きらい)のイエス本も読んだですよ。そしたら奴はルーク&使徒行伝セットが好きだったらしく、そこに出てくるイエス像に更に歪み入れてるんですわ。

多分大多数の日本人が持ってるイエスの一般的なイメージって、ルークだの周作のやつー三浦綾子あたりだののウェットで柔和なイエス・キリストなんだと思うけど。

私は中高時代に出来心で、数回近所の教会(バプテスト派)に通ってたんですが、「よく説教で引用されるルークとかいうページのイエスは胡散臭い」と思ってて、「故に説教とか笑顔で勧誘してくる儲の人たち胡散臭い」とか思って、「そのうち牧師か儲の人と論争して、天地茂の明智小五郎が変装マスクを剥ぐが如く、あの胡散臭い笑顔が剥げ上がるところを見たいもんだ」とかいうのを野望にしていたわけですが。
結局青少年クラスみたいなのに参加させられ、順番に聖書のどこかを音読しては皆さんウトーリ、という恐怖体験をしてからは、ガクブルしてそこから足が遠のいたので、結局野望は達成できませんでした。続きを読む

2005年08月19日

塩はいいねえ…リリン(ry ◇イエスある日の説教のこと(福音書)

一応文献再読して準備してたら体力負け。近々必ず書きますよ(ここのスペースで)。

2005年06月30日

人の原罪ってやつ

少し前に報道された例のご近所トラブル事件のことでいろいろ思ったこととか。
続きを読む

2004年12月30日

人が「キリスト」になるまで〜『最後の誘惑』(映画)〜

今更1988年作『最後の誘惑』レビュー。
監督/マーチン・スコセッシ
キャスト/イエス:ウィレム・デフォー、ユダ:ハーヴェイ・カイテル、マグダラ:バーバラ・ハーシー、ピラト:デヴィッド・ボウイ(…)
原作/ニコス・カザンザキス『キリスト最後のこころみ』つづき

2004年12月10日

マタイ受難曲「憐れみ給え、わが神よ」についてとりとめもなく想う(夜中だからね)

メンゲルベルグ版の『マタイ受難曲』は、1939年4月2日のアムステルダムでの演奏会録音盤という、いわく付きの音源です。何がどういわく付きかというと、ナチス・ドイツのオランダ侵攻を目前にした聴衆たちのすすり泣きも入っているという、ある意味ホラーCDのような代物なわけです。つづき
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